日本の近代化の証!





3月25日(土)快晴に恵まれヴェルニー公園にて「戦艦陸奥主砲里帰り祈念式典」開催。




近代日本のルーツとなった横須賀製鉄所は、江戸時代末期の1865年(慶応元年)に竣工し、幕末最大の建設プロジェクトとして急速に整備され、明治になって横須賀造船所となり、その後1903年(明治36年)に横須賀海軍工廠となりました。このころまでの日本の主力艦は外国製で、1905年(明治38年)日本海海戦を勝利に導いた観戦「三笠」も英国からの輸入でした。しかし、日本は戦艦を外国から購入しただけでなく、戦艦の建造現場を日本人技師に学ばせて、船とともに造船技術の導入を図っていました。そして、日露戦争終結の翌年に世界最大級の戦艦「薩摩」を横須賀で進水させ、そのわずか十数年後、日本は世界最初の40センチ(実際には41センチ)砲を搭載した戦艦を作る技術を築き上げたのです。
それが1921年(大正10年)に横須賀海軍工廠で建造の戦艦「陸奥」でした。